竹鼻別院

竹鼻町下城
☆藤まつり会場☆

 
竹鼻別院は、宗祖親鴛聖人が上洛の際、三河川で尾張葉栗郡門間庄の河野四郎道勝等八人が、教を聞き帰依し草庵を立てたのが起源といわれている。
 その後、蓮卸上人の下向された際、草庵を再興され、「河野御坊」と名付けられ、さらに「専福寺」と改称された。教如上人の時に、本願寺は、東西に分派し東本願寺派に属す。また御坊に取り立てられ、五十四か寺が附与された。
 現在地に本堂が建てられたのは、一八二二年。三十九村の人々が、懇志と労力を結果し五十年の歳月をかけて、十四間余の大伽藍を落成させた。また大門・経堂と続いて建立された。これら、先祖の皆さんが親鴛聖人に対する思いの深さ、聖人にお遇いし、人と人との豊かな関わりを生きる真実の教え・浄土真宗に命をかけておられた精神が脈々と伝わってくると伴に御同朋の心魂の結晶である。
これが、一九八二年(明治二十四年)濃尾大震災により崩壊するや南北ハ間・東四十八間の仮御堂をたて聖人以来の法灯を絶やさず、一丸二二年(大正十二年)には、現在の十一間四面の本堂・総けやきづくりの伽藍を再建。また山門も、三年後の一九二八年再建された。誠に御間朋という力に驚き、心より尊敬せずにはおられない。
棟梁は、東本願寺すなわち本山を再建された伊藤平左衛門氏。また内陣の造作・彫刻・荘厳に至るまで、日本建築の素晴らしさが結集された御堂・開法道場といっても過言でない。
 山門に鐘楼は近く修復され、往年の素晴らしさを取り戻し他に誇れるもの。今年本山の発行する「真宗」にも紹介されている。本堂も他に誇れる建物ではあるが、いま関係者が大変頭を悩ましているのは雨漏りである。